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五感の芸術和菓子
和菓子が京都でどのようにうまれ発展し、全国に広まったか。
まず、和菓子を三つの類型「農村型・洛外型・洛中型」に分け、 1690年頃の文献に、京都で編笠団子など装飾性のある上菓子につながる菓子が出ることから、洛中型の和菓子が京菓子のル−ツではないかと考察。
京都が茶の湯の中心地だったことが、意匠性獲得の大きな要因だった。
何故、京都で和菓子が大成したのか。
江戸時代初期、京都が江戸・大阪と並ぶ三都の一つで、伝統・ 権威・経済力と共に、先端技術を持つ都であった。
更に、元禄時代、文化人達が平安王朝への強い憧れを持っていて、「源氏物語」・ 「古今和歌集」に想いを得た銘やデザインが京都サロンの中で次々に生み出され、 そのような文化的背景により京菓子としては五感で味わう菓子として大成した。
京都で大成した和菓子がどのように全国に広まったか。
まず、江戸のまちの成立事情を取り上げると、江戸は家康によって無理矢理つくられたようなまちであり、当初は人々の生活を支える力がなく、上方(大阪・京都)に経済的依存するまちであった。
菓子も、京都の上菓子が江戸に下がり、江戸に下った菓子屋は「下り京菓子屋」と呼ばれ、普通の江戸の菓子屋とは違 う特別なものとして扱われた。
こうして江戸に根付いた京菓子は、その後、参勤交代という制度のおかげで店舗が全国各地にできました。
また、武家にとって必須の教養(たしなみ)であった茶の湯が京菓子を広める重要な 要素であった。
それが大名・家臣・御用商人へと広がることにより、各々の城下町でも茶の湯を介して京菓子が浸透していった。
加えて、出版文化の影響が大きく、京都が出版文化のまちだったことで菓子製法書が全国に伝わり、様々な土地で京菓子の作り方が伝授された。
最後に「宗匠好み」などの「好みもの」という菓子の格付けが 京菓子の重みは更に増し、一層の発展が促された。
和菓子はその後、化政文化の時期に爛熟期を迎えたが、凝り過ぎる、菓子に反省をし、もう一度シンプルに戻そうとする気運もあらわれ、現在に至っている。
追伸  
【表千家好菓子】
千家好菓子の古いものの記録は少なく九世了々斎好み「竜の玉」、十世吸江 江斎好み「三楽」、十一世碌々斎好み「静海」「つぼつぼ煎餅」「芝の雪」、十二世 惺斎好み「残月」「鱗づる」、十三世即中斎好み「弥さか茂ち」などがみられます。  
【主菓子(おもがし)】  
濃茶用の蒸菓子で、薄茶は千菓子とされ、お茶会に主菓子と千菓子を出されるのは、茶事の略式とされています。
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